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「思い込み」と生き様〜『戦国魔神ゴーショーグン番外篇2 美しき黄昏のパバーヌ』を読んで

なんだか読書感想文のタイトルみたいですね。
まあでも実際その通りで、今回は本の感想です(といってもアニメ関係だけど)。

だいぶ前のマニアックな作品(※失礼)ですが、
ちょうど今の自分にはどストライクな内容だったので、
思ったことなどを書き残してみたいと思います。

 

 

概要とあらすじもどき

※恐らく絶版になっていますでしょうし、ネタバレ全開でいきます。
80年代放映の、とってもマニアック?なロボットアニメ
戦国魔神ゴーショーグン本編と、
アニメのその後を描いたシリーズ小説の第8作目。
アニメでシリーズ構成を担当していた首藤剛志さんが全篇執筆されています。
▼アニメ本編はこちら。Amazonプライムビデオでも視聴可能です

anime.dmkt-sp.jp

 ▼上段一番右が、アニメ本編のノベライズ。
  それ以外はぜんぶ「その後」を描いた小説です。
  ※中段右は劇場版作品のノベライズ。

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内容は、主人公たち「ゴーショーグンチーム*1*2」の6人が、
ルネサンス時代のイタリアはフィレンツェに飛ばされるお話。*3

メディチ家の血を引く少女、イザベラとの出会いをきっかけに、
世界を「美の帝国」に仕立て上げようとする女性……こちらも同じくメディチ家の……
カミーユの陰謀との戦いも描かれます。

最終的には、カミーユの語りを通して、美とは何なのか?そして、自分とは何か?という哲学的なテーマにまで発展していきます。*4

 

もう少し詳しめのあらすじもどき: 「思い込み」という名の生き様?

この作品のテーマは「思い込み」でした。

作中のヒロイン・イザベルの「思い込み」。
イザベルは、ガラス細工の工房にいたベルナルドという男性を、愛していました。
……といっても、色々事情があって、イザベルはただ、
ベルナルドを見つめることしかできませんでした。
ベルナルドもまた、そんなイザベルを見ていただけ……
もっとも、本当に見つめ返していてくれたのかどうかすら、
イザベルには確信がなかったのでした。

だから、この恋愛自体、イザベルの強い「思い込み」に過ぎませんでした。
(もっとも、恋愛ってそもそも「思い込み」の塊だったりして……)

ある日を境に、ベルナルドは工房からいなくなってしまいます。
噂によれば、彼はフィレンツェに行ったとのこと。
その後、色々あってイザベルもフィレンツェに向かうことになりました。

ゴーショーグンチームは、道中の彼女が何者かに襲われているところに遭遇、
彼女を助けたことから、イザベルと関わりを持つようになります。

そして、フィレンツェの工房にて、
イザベルとベルナルドは奇跡とも言える再会を果たし、
お互いに両想いであったことを知ります。
しかし、このベルナルド君は、カミーユにとっても必要な存在でした。
カミーユは、イザベルからベルナルドを奪ってしまいます。

 

そんなカミーユにも、ある「思い込み」がありました。
カミーユは、芸術家たちが自由に創作できる「美の帝国」を作ろうとしていました。
ルネサンスの美を守るためには、世界を芸術中心にするしかない。
その為だったら、ローマ教会とその人間も利用するし、
邪魔になるもの……彼女の考えを否定する者は、全部潰す。
そんな「思い込み」のもとで、彼女は行動していました。


彼女は、ルネサンス期の著名な芸術家たちをひとところに集めました。
彼らに、自由に創作してもらうために。
(ベルナルドもこのために連れ去られてしまったのでした)
けれど、彼女自身が自分の美学に囚われていて、
それを他人に押し付けていただけだったということには
気がついていなかったようです。

 

ゴーショーグンチームの6人は、この世界で唯一確信を持って信じられるのは、
この2人の愛だけだと「思い込み」、イザベルのために戦うことを選んだのでした。

 

ここから感想っぽいもの: 今、「思い込み」と戦っています

この本を読んで、そういえば私も、ある「思い込み」と闘っている最中だなあ、
なんてことをふと思いました。

「何事も完璧にやらなければいけない」
「常に良い人でいなければいけない」

頭では「こんなの馬鹿馬鹿しい」と思っていても、
なぜかこういう「思い込み」が、頭を離れてくれません。

原因は他にも色々あるのですが、これらの「思い込み」が、知らず知らずのうちに、
私自身を苦しめていたことは確かなようです。

……まあ、この種の「思い込み」は、
この作品で語られてる「思い込み」とはまた違うのかもしれませんが。

たぶん、作品のテーマに近いのは、次に書く「思い込み」です。

 

それでも捨てたくない「思い込み」

悪い「思い込み」は、たびたび私の前向きな気持ちに水を差して、
身動きができないようにしてしまいます。
この手の「思い込み」は私も無くしていきたいと思っています。

でも、捨てたくないなーと思ってる「思い込み」もあります。
それは、
「絵を描かなくてはいけない」
「文章を書かなくてはいけない」
という、まあ自分の趣味に関する「思い込み」です。

考えてみれば、
この「絵を描かなくてはいけない」というのも、
ある種の「思い込み」なのかもしれないです。

でも、私にとって絵を描くことや、文章を書くことは、
自分の生き甲斐にも直結している(と思い込んでいる)ので、
やっぱり捨てられないなあ、と思うのです。

やっぱり人間、何か一個「思い込み」がないと、
生きる理由がなくなってしまうのかもしれません。
そうでない人も、もちろんいるとは思いますが……。

その人にとって、それが生きる理由になるなら、
「思い込み」があってもむしろいいんじゃないかなあ?
「美しき黄昏のパバーヌ」を読んで思ったのは、そんなことでした。

 

ただ、この作品のカミーユさんみたいに、
「思い込み」を他人に押し付けて、歴史ごと世界を変えようとしてしまうとか、
他人が困るような「思い込み」はやめといた方がいいとは思いますけどね!
(この「他人が困る」のさじ加減も、実際考えると色々難しい気がします)

 

さいごに: 「思い込み」で世界は回ってる?

まあでも、カミーユの「思い込み」をまた、別の「思い込み」の元で動き、
結果的にカミーユの陰謀を阻止したゴーショーグンチームがいたってことを
考えると、世界ってそういうふうにできているのかもなあと。

個人個人の、いろんな「思い込み」が、
ぶつかり合い、混ざり合って、世界はつくられていく。

……そんな、妙に達観したようなことを思ったりもしました^_^;

そして私もいま、一つの「思い込み」のもと、一人で突っ走っています。
狂ったように絵を描き続けています。


それが、自分の未来につながるはず、などという
あてもない「思い込み」を信じて……。

 

*1:「ゴーショーグン」のパイロット3人と、その3人と敵対していた組織・ドクーガにいた3人の計6人のこと。その後を描いた一連の小説では行動を共にしており、様々な世界や星々に飛ばされ、様々な戦いに巻き込まれていきます

*2:誤解のないように言っておくと、ゴーショーグンのパイロット3人は、厳密には主人公ではありません。「ゴーショーグン」というメカも出ません。つまり、本来の主役が不在のままその後の物語が描かれ続けるという、なかなかに面白い状況になっています。笑

*3:ちなみに……今回ご紹介するのは「番外篇2」となっていますが、「番外篇1」では、江戸時代末期の日本に飛ばされています。画像中段左の本。

*4:「自分とは何か?」という問いで言えば、「ミュウツーの逆襲」に通じる部分もありますね。首藤さんも、「逆襲」の脚本のお話でこのあたり言及されています:http://www.style.fm/as/05_column/shudo167.shtml